東京都新宿区にある日本文化講座 七海風呂敷講座を開催している株式会社七海インターナショナルです。
本日も七海通信にアクセスして頂きましてありがとうございます。
今回の話題は、ご寄贈頂いた風呂敷 風呂敷が伝えたいこと1 60年前1964年10月の風呂敷についてです。
今年の夏、たくさんの風呂敷をご寄贈いただきました。
ご寄贈主はY様。
Y様のお父様は大正時代のお生まれでご人脈が広かったご様子。記念品等々として風呂敷をお受けになっていらっしゃって、それをY様のお母様が長年大切に保管されていらしたという経緯がおありになります。ご両親様の想いを受け取られたY様から、今回粋なお計らいで、貴重な風呂敷を弊社へお繋ぎ頂きました。ご寄贈頂いた風呂敷は「私を先に見て!」とばかりに箱から飛び出しそうです。
Y様へ
弊社へ貴重な風呂敷をご寄贈頂きまして誠にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
上記からもおわかり頂けますよう、風呂敷は日本に古くから伝わり、物を包んだり、運んだり、覆ったり生活用具として定着しており、昔から風呂敷自体を贈答品などとして贈り、贈られてきました。
ご寄贈頂いた風呂敷を中心に風呂敷からのメッセージをシリーズ化し「風呂敷が伝えたいこと」をご紹介させて頂きたいと思います。
さて、今回は1回目1964年10月の風呂敷についてです。
写真の風呂敷は、1964年10月9日~26日「欧米各国教育事情視察記念」と書かれており、その下に贈り主(風呂敷をオーダーされた方)の住所・氏名が書いてありますが、住所・お名前は伏せさせていただきます。
風呂敷のデザインは世界地図、視察された時に立ち寄った都市名が記載されています(飛行機の給油地も入っているのかもしれません)。
旅程を読み解きますと、東京→ハワイ(給油地か?と想像) →サンフランシスコ→ニューヨーク→ロンドン→ローマ→パリ→フランクフルト→コペンハーゲン→東京。17日間の教育事情視察だったようです。
60年前の1964年は、日本中が熱狂した日本ではじめての東京オリンピックの年でした。1964年10月10日が開会式で、24日まで15日間開催されました。「欧米各国教育事情視察」の時期と1964年オリンピック開催時期がぴったり重なります。
この時代は、海外旅行に行けるのはごく限られた方々のみ。海外へ行く際には、搭乗前に花束を受け取り、タラップをのぼって搭乗した時代だったということを、この時代に客室乗務員をされていた方から伺ったことがあります。
こちらの風呂敷の贈り主(風呂敷をオーダーされた方)は、そんな時代の教育関係者又はその関連のお仕事をなさっていた方でしょう。
60年前は現代のように自由に海外へ行くことはなかった時代です。当時の機内食のメニューは洋食が提供されたのでしょうか、フォークやナイフで召し上がったのでしょうか?海外視察へお出かけになると知った時のご本人やご家族の心境は?等々、こちらの一枚の風呂敷から60年前はどんな世の中だったのか、その時代を生きた方々の気持ちに思いを馳せました。
※ご寄贈頂いた風呂敷は弊社七海風呂敷講座でご紹介しております。
<風呂敷について補足>
風呂敷の素材はアセテート。シルクのように輝きがあり華やかで柔らかい素材です。日本では1950年頃から工業生産が始まったようです。
こちらの風呂敷へ低温で、あて布を敷いてアイロンをかけましたが、これ以上熱を加えますとダメージ(変色・生地の損傷等)がありそうですので、今回は60年間当時のまま小箱に入っていたほぼそのままの状態の写真を掲載させて頂きました。
執筆:風呂敷講師 土肥原くに子